産後うつ病の病態理解にむけて
今回は、基礎研究寄りの話です。
神経ステロイドホルモンは、GABAA受容体の機能に大きな影響を与える事が分かっており、妊娠・出産に伴う神経ステロイドホルモンの変化は、この受容体を介して大うつ病性障害をはじめとする精神症状と関連しているのではないかと考えられています。この論文では、マウスを用いて実験的に妊娠・出産がGABAA受容体に及ぼす影響とその結果として行動上どのような変化を来すのかを調べて報告しています。
まずは、海馬領域におけるタンパク質レベルでのGABAA受容体の発現をバージン、妊娠中、出産後のマウスで較べてみたところ、妊娠中のマウスで、他の場合と比較して発現が減少している事が分かりました。
次に、実際のGABAA受容体の機能について電気生理学的に調べてみたところ、やはり妊娠中のマウスで他の場合と比較して機能の抑制が認められました。この実験ではネガティブコントーロールとして、GABAA受容体を構成しているデルタサブユニットのノックアウトマウスでも同様の実験を行っており、このノックアウトマウスでは、3つの時期で電気生理学的な機能の差が認められていない事、およびワイルドタイプマウスで妊娠中に認められた機能の抑制の程度が、ノックアウトマウスで得られた程度と同等であった事より、ワイルドタイプマウスで妊娠中に認められた機能抑制は、GABAA受容体の発現の減少からきている事が強く推測されました。
次に、著者らはワイルドタイプマウスとGABAA受容体ホモノックアウトマウスで、行動実験をしています。
- 強制水泳試験:よく抗うつ薬のスクリニングで用いられる試験で、マウスを水を張ったバケツに放り込み、もがいている時間と動かない時間を集計します。より動かない時間が長いほど、抑うつ的であると判断されます。通常抗うつ薬はもがいている時間を増やすように働きます。
結果ですが、産後のノックアウトマウスで、ヘテロマウスと比較して、より抑うつに近い傾向を示す結果が得られています。 - sucrose preference test:これも抑うつ的かどうかを見るための行動実験の一つのようです。ただの水と2%スクロースをおいておいて、どちらを好んで飲んだかを見る実験です。
結果、産後のノックアウトマウスでスクロース入りの水を好む率が低く、これはより抑うつ的である事を示しているそうです。 - 最後に攻撃性を見る実験で、見知らぬマウスを同じケージの中に入れた際に、攻撃を始めるまでの時間を調べるものです。この実験では、ワイルドタイプ、ノックアウトマウス、バージン、産後で違いを認めませんでした。
さらに、これらがマウスにおける母性行動にどのような影響を与えているのかを調べました。ノックアウトマウスでは、適切な巣を作製する能力が劣っていることが観察されました。
また、胎児の生存率が母親がワイルドタイプの場合と比較して、ヘテロノックアウトマウス、およびホモノックアウトマウスで低くなっている事が観察されました。遺伝子改変自体が胎児の生存率に影響を与えている可能性を考えて、養子実験を行ったところ、やはりこの生存率低下は、母親のGABAAデルタサブユニット遺伝子欠損によるものである可能性が非常に高い事が明らかとなりました。そして、THIPというGABAA受容体刺激薬をヘテロノックアウトマウスに投与した場合に、胎児の生存率の回復が観察されました。
以上が実験の内容と結果です。なるべく平易な言葉を使うようにしたため、科学的には厳密でない部分もあるかもしれませんがご容赦ください。で、思い切って何がなされたか言ってしまうと、
- 通常はGABAA受容体は、妊娠中に減少するが産後その発現は回復する。電気生理学的な機能に関しても同様の時間経過をたどる。
- 抑うつに関連した行動実験では、正常なマウスでは妊娠前、出産後いずれも以上を認めなかったけれども、機能的なGABAA受容体を作れないノックアウトマウスでは、出産後に抑うつ的な傾向を示す行動上の異常を認めた。
- 母親がノックアウトマウス、もしくは遺伝子の半分がノックアウトされたヘテロのノックアウトマウスの場合、母性行動に異常が認められ、胎児の死亡率があがる。
- GABAA受容体刺激薬を投与すると、この母性行動の異常がキャンセルされる。
ということです。これらの結果から推測される事は、もし産後にGABAA受容体の発現が回復できないような状況になった場合には、抑うつ的になる事が予想され、その結果として母性行動に影響が出る可能性がある。そして、GABAA受容体の刺激薬によりこれらの症状が改善する可能性があるという事になります。
今日のコメント
実験については多少突っ込みどころが無いわけではありませんが、非常に面白い結果だと思います。この論文を受けて有名なNemeroff先生がPreviewsを書かれており、産後うつ病の病態の理解とその治療法にまで示唆が与えられているこの論文を高く評価されているようです。
GABAA受容体はいくつかのサブユニットが合わさって機能的な受容体を形成しているのですが、ノックアウトされているデルタサブユニットは、GABAA受容体の主要メンバーでは無いようです。ですから、ホモノックアウトマウスでも、完全に機能的GABAA受容体がなくなってしまうかについては怪しいと思います。おそらく過去に報告があると思いますので、機会があれば調べてご報告するかもしれません。
THIPという薬について調べてみました。Gaboxadolという名前でアメリカでは睡眠障害に対して第III相試験まですすんだとの事ですが、残念ながら開発は中止になっているようです。しかし、ベンゾジアゼピンもたしかGABAA受容体の作用を増強するはずでしたので、理論的にはこれらの薬剤も効く事になるのでしょうか?それともアロステリックなアゴニストでは、何らかの理由で作用が認められないのかな?
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